厚狭高を卒業して、既に30年近く。
「光陰矢のごとし」とは、当時も言っていましが、今は何億光年も離れてしまった昔の気がします。
みんな一緒に、本当にいい年齢になりました。
20余年前、東京から帰って萩に就職。つれづれなるままに、厚狭との接点を思い出してみます。
平成22年(2010年)、水害の際に、受験でお世話になった図書館付近で、床上浸水となった家屋に入り、ドロンコになって土砂を搬出したのが、厚狭とのご縁の復活でした。
その後、職場仲間でマラソン、駅伝に出場するのが流行り、美祢市厚保の実家に帰る度、当時は自転車で通った約8キロの通学路をジョギングで走るようになり、そのたびに厚狭の街並みを眺められるようになりました。
ランニングの時は、鴨ノ庄、厚狭駅前、加藤の交差点、丸久、鴨神社・・・街並みは、少しずつ変わっていても、骨組みは昔と同じで、懐かしむことができ、若返り?の元気をもらえるのが楽しみです。
今は、各地域とも、オリジナルの素晴らしさを発見して、プラスのパワー、誇りとしてまちをおこす時代。
厚狭の場合はどうだろうかと考えたとき、思い浮かぶのは、やはり寝太郎さんです。
無理に働かず、休むときは大いに休み、一攫千金、人助け、まちおこし・・・働き方改革にも叶い、今からの時代の手本になり、夢も与えてくれる物語です。
是非、寝太郎さんのまち、厚狭が、日本を元気にするまちに、なってほしいな、と思いつつ、自分もこれからは、寝太郎根性で生きていくぞ、と走っています。