新型コロナウイルス感染拡大防止のため、今年度の山口県立厚狭高等学校同窓会総会・懇親会が中止となりましたことは、同窓生の皆様におかれましては、致し方ないこととはいえ、大変残念に思われていることでしょう。このコロナ感染が早く収束し、人々が安心して集える日が来ることを願うばかりです。
私は、昭和61年4月から平成3年3月までの5年間、そして平成21年4月から平成25年3月までの4年間、計9年間を、北校舎の英語科教員として勤務させていただきました。同じ学校を2回勤務するのはあまりないことです。厚狭高校の皆様とは本当に御縁が深いと思っております。生徒の皆さんだけでなく、同僚の先生方、保護者の皆様など多くの人たちには大変お世話になり、深く感謝しております。
今回、今年度の当番幹事(平成3年卒業生の皆様)から寄稿の依頼があり、当番幹事の皆様の学年は、教員になって初めて3年間担任をした、私にとっては記念すべき学年なので、寄稿させていただくことにしました。
覚束ない記憶を頼りに書きますので、事実とは異なっているかもしれません。ご容赦ください。
【30年前】
県内で最も長い歴史を持つ学校の一つであることや、南北校舎に分かれていることなど、ほとんど何も知らずに厚狭高校に赴任した私は、当時はまだ20代後半でした。そんなぼんやりした私を、先輩の先生方は大変温かく見守り、フォローしてくださいました。凛とした素敵な女性の先生方も多くおられ、憧れました。初めてのクラス担任も、生徒たちの頑張りと周りの先生方の支えで何とか全う出来ました。
一番思い出深いのは文化祭です。平成元年度(当番幹事2年生)の文化祭で、「大きいものを作ろう!」という私の提案をクラスの皆が受け止めてくれ、折り鶴を使った壁画を作ることになりました。
出来上がるまでは学園ドラマさながらでした。次から次へ難問が噴出。「図案は何にするか」から始まり、鶴は何色を何羽折るのか、何でつなぐか、どこから吊り下げるか、どうやって固定するか等々。しかし、誰かが解決策を考え出したり、先生方からお知恵をいただいたりして解決。2万羽の鶴を折り、テグスでつなぎ、校舎の屋上から吊り下げて垂木で固定し、巨大「金魚」を浮かび上がらせました。文化祭の朝、開始時間ギリギリの完成でした。新聞記事になり、町(当時は厚狭郡山陽町)の広報誌にも取り上げられました。作成過程では自分の都合を優先する生徒もいたりして、人間関係がぎくしゃくする場面も。でも、最後は皆がお互いを認め合い、完成した喜びと達成感を味わいながらジュースで乾杯しました。更に、このクラスは巨大壁画を作っただけでなく、当時大流行していたMr.マリックの超魔術をもじったマジックショーも当日敢行。絶妙なキャラクターのS君がいたおかげでした。大盛況でした。文化祭で2つの出し物をやり遂げたのは、私が担任したクラスの中では、後にも先にもこのクラスだけです。
きっかけを与えたのは担任でしたが、そのあとは生徒だけで話し合い、協力し合ってどんどん物事を進めていきました。私が予想していた以上に生徒は目覚ましい成長をしていったのでした。教室での座学では得られない力を行事を通して生徒たちは身につけていくのだと学びました。3年時はクラスの食品バザーだけでなく、有志でジュースの自販機の紙コップを使って、五重の塔も完成させましたね。ごみ問題を訴えるためでした。バイタリティーがありましたね。
この文化祭の体験は、その後の私の教員生活の支えとなりました。
他にもいろんなことが思い出されます。この厚狭高校での5年間は、教員としての私の「青春時代」でした。
【2回目の勤務】
再び厚狭高校に赴任した時には、新校舎が建設中で、1回目の勤務時より格段に忙しくなっていました。多くの先生方が楽しんでいたテニスの「デベソカップ」もなくなっていました。
一番印象に残っていることは、平成22年の総合家庭科の北校舎移転です。それまで全日制は南北2校舎に分かれていたのが、北校舎に統合されるという厚狭高校の大きな変化に立ち会いました。この統合のため、学校行事の時期や運営方法を見直さなければならなくなり、大変でした。例えば、修学旅行。総合家庭科は染色家の工房見学、普通科は大学見学と別行動を強いられたりしました。文化祭の開催時期を普通科に合わせると総合家庭科は準備が不足するので、学習成果発表会として11月にファッションショーなどが行われました。家
庭科の先生方の細やかな指導とそれに応える生徒たちの熱心さに感動しました。美味しいコース料理もいただきました。
文化祭では、食品バザーで「Areeta!(アリータ)」という店名で唐揚げを売ったり、爪楊枝を使った点描画を作ったりしましたね。部活動は男子ソフトテニス部の担当でした。懐かしいです。個人的なことでは、渡り廊下で転んで左手中指を骨折するということもありました(人生初の骨折)。
【近況】
去年の誕生日に60歳となり、今春、定年退職しました。教職からは離れ、今は家事をするだけの毎日です。新型コロナウイルス感染拡大に伴い外出を自粛するように言われましたが、緊急事態宣言解除後も基本的にはずっと巣ごもり生活を続けています。そんな中、家庭菜園を始めました。キュウリやミニトマト、インゲン豆など、少しばかり植えています。初心者なのでうろたえることばかりです。雑草は野菜が見えなくなるほど生い茂り、虫は野菜につき放題。変色した葉もあり、病気にもかかっているみたい(涙)。わずかばかりの実はカラスと収穫を争う有様。今のところ連戦連敗、カラスに食べられてばかりです(泣)。しかし、こちらが期待するような大きさや数でなくとも、芽を出し、時期がきたら花を咲かせ実をつける野菜の逞しさや健気さに励まされています。何より、自分が育てたものを収穫し食べることの喜びは格別です。雑草や虫のいる中で過ごす時間は、教員として働いていた時とは全く異なる速さで過ぎ、のんびりと過ごしています。
長く教員をしている間に、親子二代を教えるという御縁もありました。(三組ありました。いずれも、当番幹事の学年の「母と娘」)感慨深いものがあり、お子さんの方を教えている時は、恥ずかしいような申し訳ないような気持ちがしていました。
厚狭高校で勤務した9年間は、私の力不足のために迷惑をかけたことも多かったと思います。本当に多くの方々のお陰で何とか無事に過ごせたと深く感謝しています。有難うございました。
最後になりましたが、当番幹事の皆様に感謝し、併せて厚狭高等学校及び同窓会の皆様のますますのご発展を祈念いたします。